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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

サレジオ家族への教皇メッセージ(6月21日トリノ)



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SS Papa Francesco Visita Pastorale a Torino 21-06-2015 @Servizio Fotografico - L'Osservatore Romano

SS Papa Francesco Visita Pastorale a Torino 21-06-2015
@Servizio Fotografico – L’Osservatore Romano



教皇フランシスコによる扶助者聖マリア大聖堂での講話
サレジオ家族に向けて 2015621日(抜粋)
「貧しい若者たちのためにリスクのある決断をしてください!」

 2015621日、教皇フランシスコはイタリア・トリノを訪問。サレジオ会事業発祥の地ヴァルドッコにある扶助者聖マリア大聖堂で、サレジオ家族と分かち合いのひとときを過ごされました。教皇はドン・ボスコの墓の前で祈った後、30分以上にわたり自らのサレジオ的ルーツやサレジオ家族へのメッセージを親しく語られました。その要旨を紹介します。


日本語訳全文、イタリア語、英語は、下記リンクからダウンロードできます。

2015.6.21
教皇フランシスコによる扶助者聖マリア大聖堂での講話(全文・日本語訳)
2015.6.21教皇フランシスコによる扶助者聖マリア大聖堂での講話(イタリア語)
2015.6.21教皇フランシスコによる扶助者聖マリア大聖堂での講話(英語)

* * * *

 親愛なるサレジオ家族の皆さん、私は皆さんにお伝えしたいことが沢山あると思っていました。それを紙に書くこともしたのです。しかし、それは形式的すぎます。ですから、私はそれを総長に送り、皆さんにその内容を知らせてもらうことができるようにしました。

 私は現総長とアルゼンチンですでに知り合いでした。私たちは共に働き、良い関係性を発展させました。良い時期も悪い時期も共にしたのです。私がこの総長から強い印象を受けたことは、彼の持つ奉仕と謙遜の精神でした。

 私がサレジオ会員とともに経験したことについてお話させてください。私の家族はサレジオ会員たちととても深いつながりがあります。私の父は、アルゼンチンに到着するとすぐに、聖カルロ小教区の扶助者聖マリア大聖堂にいるサレジオ会員のところへ行きました。その教会で、父は多くのサレジオ会員と出会ったのです。

 その後、父は近くに暮らしていた私の母に会いました。私の父と母は、生涯を通して私と父を見守ってくれた司祭のもとで結婚しました。その司祭は、パタゴニアから来たサレジオ会の宣教師でした。私は、その司祭のところでよく告解をしたものでした。その司祭は私に洗礼を授け、私の召命を手助けしてくれました。私が神学校からイエズス会に入るとき、彼は私を手助けしてくれました。

 私は、サレジオ家族にとても感謝しています。私の母は5回目の妊娠をしてから1年間、体が麻痺した状態でした。その司祭は私たち年長の子どもたちをサレジオ会の学校に送ってくれました。私はその中の1つで小学校生活を終えました。私はそこで聖母マリアを愛することを学びました。サレジオ会員は、美しさ、仕事について私に教えてくれました。それが皆さんのカリスマです。サレジオ会員は愛情深く感情面での成長を教え、少年たちの中でそれを伸ばさせてくれました。

 私は、素晴らしい憐れみ深いサレジオ会の聴罪司祭を覚えています。後に私の父が亡くなり、その後、その聴罪司祭も亡くなりましたが、524日が来るたびに、私は扶助者聖マリアのもとを訪れました。私は花を持っていき、おとめマリアに祈りました。これが私が皆さんから受け取ったことです。しかし、私が特に覚えている1つのことは感情面での成長です。私は、ドン・ボスコが少年たちの感情の成長を励ますことができたと信じています。なぜなら、ドン・ボスコには自分の感情面を育ててくれた母親がいたからです。ドン・ボスコの母、マルゲリータを理解しなければ、ドン・ボスコを理解することはできません。ドン・ボスコを理解するためにはマルゲリータを理解する必要があります。今日サレジオ会員とサレジアン・シスターズ、そしてサレジオ家族全体は、息子の心を導いたこの女性、マルゲリータのように少年少女たちを導くことができるでしょうか。私はこのことを強調したいと思います。

 他にもあります。19世紀末の時代、ドン・ボスコが生きたイタリアの地域には、フリーメーソン、極端な反聖職者主義、悪魔的な、本当に悪魔的な!思想がありました。トリノは悪魔的な場所の1つでしたが、そこからどれほど多くの聖人が輩出されたでしょうか。数えてください!ドン・ボスコは何をしたでしょうか?ドン・ボスコは、教育を受けられず、仕事のない通りにいる子どもたちと共に働きました。ドン・ボスコは自分の聖職を危険にさらしました。それ故に、ドン・ボスコは批判されたのです。

 現在、イタリアでは、25歳以下の40%の若者に仕事がありません。彼らは学ぶことも仕事もできません。サレジオ会員の皆さんは、ドン・ボスコが直面したことと同じ難問に直面しています。このような少年少女たちをひきつけてください。ドン・ボスコは何をしたでしょうか? スポーツです! スポーツは親交、健康的な競争を与え、競争は共に働くことの美しさへ導きます。そして、教育です。ドン・ボスコは多くを語りはしませんでした。ドン・ボスコは職業訓練をする小さな学校をつくりました。これらのサレジオ会の学校では手工業を教え、子どもたちはその技術を学びました。

 サレジオ会員は今この技術を人々に教えることができますか? 私はわかりません。私は質問するだけです。教育、そうです、しかし教育はその危機に対応しなければなりません。この40%の若者は何かを必要としています。サレジオ会員は創造的にこの挑戦に応じるべきです。

 私が学んだことがほかにもあります。それは若者を喜びへ、サレジアンの喜びへ導いたということです。私が決して忘れたことのないことです。それは主が私たちに与えてくださったすべてのことから導かれる喜びで、美しいことです。奉仕と教育です。通りにいる子どもたちに食べ物を与えましょう。空っぽのお腹で主を賛美することは不可能です! どうすれば彼らを成長させることができるでしょうか? 創造性を用いるのです。教育は危機から必要とされることに対応できるものでなければなりません。私が皆さんにお伝えしたいのはこのことです。

 現在の危機は実際に深刻であり、教会に敵対することさえあります。しかし、ドン・ボスコは彼の3つのけがれのない愛、マリア、聖体、教皇について語ることをためらいませんでした。3つの愛です! ドン・ボスコはマリアを恥じることはありませんでした。なぜなら、ドン・ボスコは自分の母親を恥じることがなかったからです。

 現在でも、皆さんは含まれませんが、聖母マリアについて恥ずかしがるわけではないですが、ドン・ボスコのように愛をもって語ることのない人々もいます。ドン・ボスコが第一に愛していたものは聖母マリアでした。ドン・ボスコは、おとめマリアに祈り自分自身を神に委ね、多くの危険をおかしました。ドン・ボスコの2番目の愛は聖体でした。よく準備された典礼は、サレジオ家族が得意とし、上手に説明されるので、子どもたちが聖体の神秘を体験する助けになります。このことは、サレジオ会員が何回も行う聖体礼拝についても同じです。これは良いことです。教皇もそうしています。また、教皇に対する愛は1人の人間に対する愛だけではありません。それは、教会の花婿の代表者としての、教会の長上としてのペトロへの愛です。しかし、教皇に対する純粋な愛の背後には教会に対する愛があるのです。

 3つの純粋な愛を忘れてはいけません。聖母マリアについて語ることを恥じてはいけません。ミサを執り行いそれを立派にすることを恥じてはいけません。そして聖なる母なる教会を恥じてはいけません。悲しむべきことに、聖母マリアは毎日攻撃されています。ドン・ボスコはいつも扶助者聖マリアに祈りをささげてから前へ進んでいました。ドン・ボスコには他にどんな考えもありませんでした。

 私の家族はサレジオ会員と、そして扶助者聖マリアと深いつながりがあります。私はよくサレジオ会員に、「扶助者聖マリアの恵みを私に与えてください」と頼みました。私はこの経験について神に感謝しています。この経験は、私が恐れることや欲望に執着することなく育つことを助けてくれました。また、この経験は、私が喜びと祈りの中で前進することを助けてくれました。皆さんのカリスマは現在において深い意味があります。通りを見てください。子どもたちを見てリスクのある決断をしてください。恐れてはいけません。ドン・ボスコは恐れませんでした。

 皆さんが教会の中で、そして教会のためにしてくださったことに感謝いたします。宣教師となってくださり本当にありがとうございます。多くのサレジオ会員はひっそりとアフリカにいます。このことは、パタゴニアでの初期の日々を思い起こさせます。そのころ、修道女は当時の修道服を着てパタゴニアを旅し、福音宣教しました。私たちは知っています。サレジオ会員がパタゴニアで殉教したことを

 物事の具体性を持っていないサレジオ会員は何かを欠いている人々です。サレジオ会員は具体的であり、問題を見つめ、世話することを考えるのです。宣教師になることについて、私は皆さんにあることを言います。パタゴニアの1つの地域は司祭たちによって見放されたということを。そこにはサレジオ会員は誰もいませんでした。15年後、福音主義者たちがやってきました。その地域の人々はひどく隔絶されていましたが、とても宗教的な人々でした。人々は神の言葉を聞くことを願い、牧師に会いに行きました。人々はほとんど改宗したのです。小教区の司祭がもう一度派遣されたとき、ある1人の教育を受けた女性は司祭に対してひどく冷淡でした。その女性は人々を放置したことでその司祭を非難し、つらく当たりました。最終的に、その司祭は許しを乞いその場を去ろうとしたとき、その女性は司祭を呼び戻しました。その女性は司祭に扶助者聖マリアの像を示しました。「私は今福音主義者ですが、このマリア像を放棄しないつもりです。私はこの像を牧師が見ないように隠しました。」

 これが皆さんの宣教師の仕事です。皆さんが教会でしてくださったすべてのことに感謝いたします。