イタリアSYM巡礼(4) 総長インタビュー
2015年8月13日、SYM DON BOSCO 2015、3日目の特別ゲストはドン・ボスコの10人目の後継者、アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父。サレジオ会総長は、司会者の質問に答えながら、サレジオの若者の歩む道を指し示した。
■1. 総長様、まずやさしい質問から始めます。ドン・ボスコの誕生日の祝いの印象は?
愛する若者の皆さん、私の気持ちは、皆なさんも想像できるように、すばらしい祝いだと感じています。58か国から集まった若者の皆さんがここにいるからです。
この集いのすばらしさに、そして若者の皆さんが示している尊い姿に感動しています。皆さんの喜び、音楽や踊りから自然と黙想や祈りに入る姿に感動しています。一緒に参加している少人数のグループへの細やかな配慮や連帯に感動しています。
また私たちは、この誕生日を祝うべくして祝っているということを言いたいと思います。なぜこのように言うのでしょうか? 二つ理由があります:
a. 私たちはドン・ボスコの誕生日(生誕200周年)に無関心ではいられないからです。なぜならドン・ボスコは、私たちの所有物ではなく ― この一年の間に何度か言ってきたように ― 教会と世界への聖霊の贈りものであり、全く現代的であり、教皇ヨハネ・パウロ二世が1988年に宣言したように、かつてと同じように今日も、「若者の父、師」として、世界中の人々を魅了し続けています。
b. 二つめの理由は、サレジオの環境において、サレジオ家族として、ドン・ボスコの誕生日を祝うことは、「若者と共に」「若者の中で」はじめて可能になります。私たちとして考えられないのは、例えば、8月16日の中心的なイベントとして「労働の管理と運営」について会議を開催する、そのようなことはありえません。そうではなく、私たちは、若者の国際的な集いを開催するのです。
ですから、繰り返し言いますが、この集いはドン・ボスコ生誕200周年のすばらしい祝いだと私は思います。
■2. 私たち若者は、特にサレジオ会とサレジアン・シスターズを、どのように助けることができるでしょうか。
自分の頭だけでなく、心に耳を傾けるとき、最初に思い浮かぶのはこのことです:
- 愛する若者の皆さん、私たちがドン・ボスコやマドレ・マザレロのようになれるように助けてください。
- ドン・ボスコとマドレ・マザレロのように、私たちがますます惜しみない広い心を持ち、皆さんに人生をささげることができるように助けてください。
- 若者たちがいつもドン・ボスコとマドレ・マザレロの心にあったことを、私たちと共にいてくれる皆さんの存在をもって思い起こさせてください。
- 一緒に祈るために共に歩んでほしいと、私たちに願ってください、いつも皆さんの中に、より大きな力をもって共にいるよう、願ってください、特に皆さんが最も助けを必要とするとき、人生の旅を歩むために助けてほしいと、願ってください。私たちの邪魔をするかもしれないなどと心配しないでください。サレジオの心にとって、それは決して面倒なことであってはならないのです。
- 最後に、今提案したことの理由を、皆さんに話したいと思います。ヴァルドッコの少年たちとモルネーゼの少女たちが、ドン・ボスコの心、マドレ・マザレロの心を大きく広げたということも私たちは決して忘れてはいけないからです。この少年、少女たちが、その存在によって、まなざし、祈りによって……ドン・ボスコの心、マドレ・マザレロの心を、時とともにますます大きくなるよう育てたことを忘れないようにしましょう。
現代のドン・ボスコ、マドレ・マザレロになるという尊い、すばらしい、美しい挑戦を生きているすべての人たち、すなわち世界中のサレジオ会員とサレジアン・シスターズのために、皆さんは同じことをすることができるのです。
■3. アンヘル神父様、総長として、今日ここに集った若者、そして世界の若者に、ドン・ボスコは何を話し、何を願うと思いますか。
- きっとドン・ボスコは、いつもヴァルドッコの少年たちに言っていたことを皆さんにも言うでしょう:イエスを人生の意味、人生の中心とすること。決してイエスを棄ててはいけない、人生の隅っこに追いやってはいけない、と。そして、いつもキリスト者の扶け聖マリアが皆さんの心におられるように、なぜなら、聖母は皆さんのためにすべてを行ってくださるからです。
- そして今、私が皆さんに言うことを、ドン・ボスコも言うでしょう、私たちは皆さんを信じている、と。皆さんが善良であること、すべての少年、少女の心に善良さと優しさの種が必ずあることを、私たちは本当に信じていると。
- ドン・ボスコは皆さんに、自分の人生の真の主役であることを決してやめないようにと言うでしょう。
- そして誠実な市民、善良なキリスト者になることを思い起こさせ、この現代の世界を知りつつ、善意の人であるように、正直であるように、誠実に働き、人に対して公正で、決して人を搾取しない人であるようにと、ドン・ボスコは言うでしょう。苦しむ人、私たちより恵まれない人、移住者、自らを守るすべのない人々へのあわれみ深い心を持つようにと、言うでしょう……これが今日のドン・ボスコの言葉にちがいないと、私は確信します。
■4. ドン・ボスコらしい質問になりますが、総長様の私たちへの、現代の若者への夢は何ですか。
実は、私は世界の若者たちを知るにつれて、よくその問いを自分に投げかけます。心の中で、このように感じています。
1. ドン・ボスコも同じように言うと思いますが、サレジオの家に来る一人ひとりの男の子、女の子の人生に、生涯を通して神様がいつもおられることを、私は夢見ます。愛する若者の皆さん、私たちが差し出すことのできる最良のものは、サレジオ会員そしてサレジアン・シスターズとなることを選ぶほどに私たちの人生を満たしたものです。
2. マドレ・イヴォンヌがすでに昨日言われたことを、私も夢見ています:何ものにも、何人にも、善良さ、優しさ、より良い人間社会を求める皆さんの夢を、窒息させられたり、奪い盗られたりしてはいけません。
3. 私は世界中のサレジオの家に来る若者たちが、大切で必要なことに関して、別の選択肢を選べること、社会の大勢に迎合せず、流れに逆らう力を持つことを夢見ています。正しく考え、正しくあり、広い心を持ち、大いなる自由をもって「はい」そして「いいえ」と言える若者を夢見ています。
■5. 総長様は2015年ストレンナの標語として「ドン・ボスコのように、若者と共に、若者のために」を選びました。これは教皇フランシスコがサレジオ家族への書簡に選んだ題です。この言葉、「若者のために」というメッセージは、私たちSYM DON BOSCO 2015の若者にとって、そして全世界の若者にとって、何を意味しますか。
このメッセージは大きな意味を持っているというよりも、むしろ皆さんにとって、すべての意味を持っていると言えます。なぜなら、皆さんは、ただ受けるためだけにサレジオの環境にいるのではありません。与えるため、自分自身を贈りものにするためにも、サレジオの若者なのです。
- 皆さんがここにいるということは、世界中の何千何百万もの若者たちが皆さんを必要としていることを、特に意識している、理解しているということだと、私は確信しています。
- 皆さんも知っているとおり、教皇フランシスコは私たちを招いておられます。出かけて行き、手を差し伸べ、人々と出会うキリスト者であるようにと(教会自身がそうであるように)。皆さんは、ほかの若者たちに与え、差し出すことのできる多くのものを持っているでしょう。
- 教皇様は6月21日、ヴァルドッコで、具体的、実際的である力を失わないでほしいと、私たちサレジオ家族に願われました。教皇様が私たちに投げかけたこの挑戦のために、皆さんにできることはたくさんあるでしょう。多くの若者や家庭のさまざまな問題や緊急事態に対し、具体的に、有効に応えることができるでしょう。緊急で具体的な状況に対する、緊急で具体的な応答です。
- 教皇様は、すべてのキリスト者、そして若者の皆さんをも、徹底した生き方をするようにと招いておられます。私が思うには、皆さんにとっても、私たちにとっても、具体的なサレジオの徹底した生き方とは、「人のためにあること」、遠くにいる人に手を差し伸べること、最も貧しい人、社会から“排除された”人たちのために具体的で効果的な選択をすることです。つまり、貧しい人々が傍らにいるなら、あるいは遠くにいても(貧しい人々のいるかぎり)、私たちは落ち着いていてはいけません。住む家のない人、暴力に苦しむ人々、搾取される人々のいるかぎり。
サレジオの環境にある若者として、これ以上に良い在り方を私は考えられません、相手にとって有効な良いものを差し出し、声なき人の声になることです。
私からはそれだけです。愛する若者の皆さん、温かい歓迎をありがとう、私の話を聞いてくれてありがとう。心から感謝します。
(ANS – 2015年8月13日 イタリア・トリノ)
http://www.infoans.org/2.asp?sez=2&doc=13141&lingua=2