イタリア サレジアニ・コオペラトーリ会員列福される
福者エドヴィジェ・カルボーニ(1880年5月2日生 – 1952年2月17日帰天)
(ANS – 2019年6月17日 イタリア・サルデーニャ州)
http://www.infoans.org/en/sections/news/item/8216-italy-beatified-edvige-carboni-salesian-cooperator
2019年6月15日、イタリアのサルデーニャ州ポッツォマッジョーレで、バチカン列聖省長官アンジェロ・ベッチュ枢機卿は教皇代理として、エドヴィジェ・カルボーニ(Edvige Carboni)を列福した。「神で満ちあふれた生活を送った」謙遜にして強靱な女性。家庭においても出会った人びとに対しても献身的な働きをした。彼女の生涯は神の恩寵と超自然の賜物で満たされていた。
1880年5月3日、ポッツォマッジョーレで生まれたエドヴィジェは、修道女になることを望んだが、病弱な母のもとにとどまらなければならなかった。彼女は家庭において控えめで内的な生活を送るようになった。
1911年7月14日、イエスの受難のしるしがエドヴィジェの身体に現れた。これに始まる神秘的な現象は1925年にバチカンで審議されることになった。第二次世界大戦が勃発しようとしていた時に彼女は家族とともにローマに転居した。
ローマに住むようになり、帰天するまでエドヴィジェはトゥスコラーナ通りにあるサレジオ会の「扶助者聖マリア」小教区に属していた。彼女はほぼ毎日その教会でミサに与り、聖体拝領をした。聖アンナの聖堂で祈りの集いに参加していた。彼女に起きた神秘的な出来事の場所はほとんどがその聖堂だった。
1941年9月25日、エドヴィジェはサレジアニ・コオペラトーリ会員になった。
エドヴィジェは聖母に対する信心が篤かった。聖母は数回彼女に出現した。彼女は多くの聖人の出現も見たが、とりわけ回数が多かったのはドン・ボスコとドメニコ・サヴィオであった。彼女に日記によると、ドン・ボスコは20回出現し、しばしば扶助者聖マリアとドメニコ・サヴィオの姿も共にあった。出現の際にドン・ボスコは彼女にいくつかの勧めを与えた。聖母への信心に招き、困難を乗り越える勇気を与え、祈りと犠牲を求め、サレジオ会員たちが行ってきた大いなる善を示し、その会員たちの聖性を賞賛した。そして、サレジアン・シスターズの会員たちを愛するように勧めた。
ベッチュ枢機卿は列福ミサの説教で次のように話した。「福者エドヴィジェは当時のサルデーニャの女性の最も美しい徳を体現しました。一方、彼女の生き方から、彼女の証しを今日にも通じるようなものとする根拠が浮かび上がってきます。限りない慈愛、はかり知れない謙遜、絶え間ない祈りによって特徴づけられる、彼女の単純でありながら深い霊的体験は現代の模範となるものです。なぜなら、ごく普通の生活でも神との堅固な一致と傷つき困っている人びとに対する熱い思いによる使徒職を経験できることが明らかにされたからです」。
《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》