写真:第27回サレジオ会総会にて。新総長に選出されたばかりのフェルナンデス総長と 2014年10月31日、管区長の任期を終える直前、肺がんで亡くなったアルド・チプリアニ神父。彼は65年の人生のうち44年を日本で宣教師として過ごした。神から頂いた命を、死の直前まで他者のために使い尽くしたその人生を支えたのは、「愛である」神への従順だった。彼の人生に関わりの深い方々の説教や弔辞の中からその人柄を...続きを読む
2016年6月8日、サレジオ会司祭 ヨセフ 古木眞理一神父が、長崎県愛野町 愛野中央病院で帰天された。2015年5月末から長崎県外海にあるイエスのカリタス修道女会の修道院の司祭館へ移り、がん治療をしていた矢先だった。 十字架を背負って歩いた話や25歳で高校へ入った話など、司祭への道のりはとても個性的だ。青少年に向かう大らかさと様々なことに情熱を傾ける姿は、多くの人の記憶に残っている。 ...続きを読む
2016年2月29日、原発不明がんのために亡くなった溝部脩司教。“生涯を若者にささげる”というモットーのとおり、死の直前まで若者とかかわり、神の愛を伝え続けた。常に開かれた彼の姿勢は、多くの若者を励まし、霊的に導き、育成することとなった。彼とかかわりの深い方々の追悼の言葉からその思い出・人柄を振り返る。 イエスと出会わせるための同伴者 サレジオ会日本管区長 山野内倫昭神父(2016...続きを読む
写真:2015年6月の管区共同体の集いにて。右はカバリエレ神父。 その訃報に誰もが驚いた。やさしさに溢れた表情と控えめな性格で、誰からも慕われたスミス神父は、本当のジェントルマンだった。 ● 戦時中の混乱の中で リチャード・スミス師は1927年10月5日に、イギリス国籍の父エドワード・アルフレッド・スミス、母ひろ(旧姓・鈴木)の間に神戸で生まれた。父エドワードは当時...続きを読む
写真:カトリック調布教会での大聖グレゴリオ騎士団勲章受章式にて。教皇大使アルベルト・ボッターリ・カステッロ師(当時、右)と故アルド・チプリアニ管区長(左)と木村さん夫妻 第二次世界大戦前に育ち、戦後の高度経済成長期に企業人としてフルに活動し、海外にも打って出た職業人生。一転して、退職後はまったく畑違いの分野で人の求めに応じて捧げていった第二の人生とは。 ● 企業人としての45年間...続きを読む
写真:1998年、サレジオ学院の校舎前にて生徒たちと 2014年6月23日、河合神父は、チプリアニ管区長より病者の塗油を受けた後、サレジオ学院の鳥越神父はじめ長年共に働いてきた教職員、信徒の皆さん、親族の方に見守られながら永遠のいのちへと旅立った。サレジオ会員として教育に献身し、この7年間は糖尿病、がんと闘いながら、最後まで若い世代の育成に情熱を傾けた生涯であった。 ● 理想に燃える...続きを読む
写真:1992年5月23日、目黒サレジオ幼稚園にて聖母祭での一コマ 2013年5月6日、93歳で天国に旅立ったニコデモ・ピサルスキー神父。祖国ポーランドから遠く日本の地で宣教師として76年、司祭として67年の生涯だった。 優しさと、時には厳しさをもって、どんな場所でも宣教の実りを結ぶよう努力を惜しまなかったピサルスキー神父の心には、いつも福音を告げる者としての誇りがあった。 ● 宣教の熱意に...続きを読む
写真:いつもお茶を飲みながら、人生や信仰について語り合っていた 徴兵されて満州で終戦を迎え、シベリア抑留という過酷な体験を経て、司祭となった山口哲郎神父。司祭として生きた58年は、第二の父と慕うチマッティ師の「将来に目を向け、善いわざに励みなさい」という言葉と聖マリアへの篤い信心によって支えられていた。● チマッティ師を父と慕い 2013年2月20日、激動の時代を生き抜いた一人の日本人サレジオ会...続きを読む
サレジオ会の最初の日本人司祭、秋元保夫神父が2012年8月28日、98歳で天に召された。イエスのみ旨に自分自身を明け渡し、いつも喜んで人びとのためにタレントをささげた牧者だった。 ● ドン・ボスコに強くひかれて 秋元神父は1913年11月11日、東京生まれ。祖父母の代からカトリック信者だったが、自分に司祭職の召命があるとは思っていなかった。「私は生まれつき気が小さく、視力も弱く、頭もよくな...続きを読む
2012年8月10日、宣教師フランス・ヘンドリックス神父が私たちのもとを去った。2012年6月、末期がんと告げられると、力を振り絞り、「やり残したことがある、闘う」と宣言。手術を経て1か月あまりの闘病の後、穏やかに息をひきとった。7月5日に80歳の誕生日を迎えたばかりだった。下井草教会で行われた通夜と葬儀には、多くの人びとと教え子たちが参列し、ヘンドリックス神父との別れを惜しんだ。 ● 惜しみ...続きを読む
今年2012年1月27日、宣教師クロドヴェオ・タシナリ神父が静かに私たちのもとを去った。出会った人々の心に温かな思い出と豊かな実りを残して。100歳の誕生日を目前にして天に召されたのは、奇しくも日本の地を初めて踏んだ同じ1月27日だった。 ● 宣教師になって日本に行く決心 タシナリ神父は、1912年3月9日、イタリアのモデナで生まれた。深い信仰を母から学んだクロドヴェオ少年は、12歳でサレ...続きを読む