ありがとう!溝部脩司教 若者にささげた生涯
2016年2月29日、原発不明がんのために亡くなった溝部脩司教。“生涯を若者にささげる”というモットーのとおり、死の直前まで若者とかかわり、神の愛を伝え続けた。常に開かれた彼の姿勢は、多くの若者を励まし、霊的に導き、育成することとなった。彼とかかわりの深い方々の追悼の言葉からその思い出・人柄を振り返る。
イエスと出会わせるための同伴者
サレジオ会日本管区長 山野内倫昭神父(2016年3月3日通夜説教より抜粋)
「私はどこに行っても、サレジオ会員として高校生グループや青年グループを作ってきました。これが自分の特徴です。勲章と言ってもいいかもしれません。人はやはり若いときから育てないといけません」と、2014年12月に望洋庵で話してくれました。溝部司教様の牧者の使命として、一人ひとりの青年をイエス・キリストと出会わせるための同伴者であることを、死を迎える数日前まで続けていました。
「前を向こう、夢をもとう」
大川千寿(弔辞より抜粋)
溝部司教様と深くかかわらせていただくきっかけとなったのは、2011年2月のドン・ボスコ聖遺物日本巡礼でした。イエス様の福音を第1にしながら、いろんな人と出会い、夢をもち続ける。そうして神様から与えられた使命を生きていく……。司教様の姿を見て、「ああ、ドン・ボスコってこんな人だったのかな」と初めて思ったのがこの機会でした。
司教様は、お酒が大好きでいらっしゃいました。2011年の夏、当時熊本に赴任していた私は、司教様が高松司教を勇退され、静養されていた大分・湯布院にうかがいました。お酒や焼酎をあけてお話ししながら、翌朝は2人きりでミサをおささげしました。司教様は、「昔のようには体は動かないけれど、一人のサレジオ会員として、若者たちのために自分の人生の最後まで働きたい」という次なる希望について語っておられました。その希望は、翌2012年に京都・望洋庵の設立という形で結実することになります。
そしていよいよ、司教様が尽力されたユスト高山右近の列福が実現します。キリシタン時代の教会・信徒のあり方にも触れながら、今こそしっかりした信仰をもち、「言葉を味わう」ことが大切だ、とことあるごとに強調されていました。
司教様は、常に新しい課題にあたってきました。80歳近くになっても携帯電話で絵文字を使い、SNSで積極的に発信する。そんな若さをもちつつも、揺るぎない信仰とサレジオ会員としての自負を胸に、使命感をもって若者一人ひとりとじっくりとかかわり、育てていかれました。
今、司教様が天に帰られたことは、日本の教会全体にとっても、サレジオ家族にとっても大きな損失でしょう。しかし、そこで司教様の楽観主義を思い起こしたいのです。苦しく、困難に見える状況があったとしても、「前を向こう、夢をもとう」といつも私たちを鼓舞してくださったのが溝部司教様です。日本のサレジオ会の父チマッティ神父様が、若かりし頃の司教様に「心配するな」「勇気を出せ」「前進しなさい」と励まされたように、今、この瞬間も司教様は私たちの背中を押してくださっていると確信します。
「若者と出会うのは、最高の喜びです」。司教様から以前いただいたお手紙の一節です。私からも、言わせてください。「司教様と出会えたことは、最高の喜びです」と。
心遣いの方
井澤恵理子(弔辞より抜粋)
もし溝部司教様を一言で表現するならと聞かれたら、私は“心遣いの方”と答えると思います。ゲストとして迎える方々がどのような状況や立場にあるのか常に心に留め、気持ち良く過ごしてもらえるようにもてなすことを大切にしていらっしゃいました。だからこそ、分かち合いの時間になると小学生からお年寄りまで誰もが心を開いて、自分の言葉で感じたことや思いを伝えることができたのではないでしょうか。“私の司教様”と誰もが感じてしまう程、心遣いを大切にされた司教様でした。
その人らしく誠実に
高山徹(弔辞より抜粋)
共に食事をし、祈り、時には相撲を取る溝部司教様の姿から、生き方や信仰を感じさせていただきました。
また、私は教育現場で挫折を味わいましたが、司教様の下で立ち直らせていただきました。私と深くかかわってくださったおかげで、自分の信仰を見つめ、イエス様に従う望みがわきました。私だけではなく、司教様は多くの青年一人ひとりとも深くかかわってくださりました。神学校入学直前にいただいた言葉「遅いと言われても、鈍いと言われても、その人らしく誠実に歩めたら、それでいいんだよ」を忘れません。
良い青年とは
河合幸(弔辞より抜粋)
溝部司教様は、良い青年について2点述べられました。1点目は「たとえお酒が飲めなくとも、誘われたら断らず、ソフトドリンクで同じ席に座る」です。私はお酒があまり得意ではないのですが、司教様の教えを忘れずに、交流会ではソフトドリンクを手に乾杯しました。
2点目は「福音を軸においた青年になること」です。日曜日のミサを大切にして、福音を中心とする青年でなければならないと、仰いました。今、私は仲間たちと共に、聖書を勉強しています。その途中で、道に迷ったときは望洋庵で黙想をさせてください。
司教様、神様の隣で私たち日本の青年を、今までと同様にあたたかくお見守りください。
(編/サレジオ会・編集部)
一切高ぶることなく、柔和で、
寛容の心を持ちなさい。 (エフェソの信徒への手紙4・2)
フランシスコ・ザビエル溝部脩
1935年北朝鮮、新義州に生まれる。1955年サレジオ会入会。1964年司祭叙階。1990~1996年サレジオ会日本管区長。2000年仙台教区長として司教叙階。2004年より高松教区司教。2011年引退。京都市上京区のカトリック西陣教会内の「望洋庵」にて若者の指導にあたる。2016年2月29日、80歳で帰天。