ありがとう!アルド・チプリアニ神父 勤労の宣教師
写真:第27回サレジオ会総会にて。新総長に選出されたばかりのフェルナンデス総長と
2014年10月31日、管区長の任期を終える直前、肺がんで亡くなったアルド・チプリアニ神父。彼は65年の人生のうち44年を日本で宣教師として過ごした。神から頂いた命を、死の直前まで他者のために使い尽くしたその人生を支えたのは、「愛である」神への従順だった。彼の人生に関わりの深い方々の説教や弔辞の中からその人柄を振り返る。
サレジオ会 溝部脩司教
2014年11月5日葬儀ミサ説教より抜粋
私が知っているチプリアニ神父は常に行動し、常に働いている人でした。いつも動いている。まったく動く機関車、走る機関車、と言ってもいいかなと思います。ゆったりと休むことをなかなか知らなかったかなとも思います。私が管区長のときに、彼に少しはイタリア人らしくなりなさいと言ったことがあります。もう全く日本人の勤労青年と同じように24時間働いた人であったかなと思います。ドン・ボスコが言う「パン、仕事、天国」、チプリアニ神父様にもパンと、仕事と、天国とを約束すると言う意味を繰り返して、あなたは働いてくれました。パンも仕事も十分に味わった神父様は、今ドン・ボスコが天国を与えてくれるでしょう。
実兄 アントニオ・チプリアニ神父
2014年11月4日通夜挨拶より抜粋
それまでは病気らしい病気もしたことがなく、与えられた職務一筋で、休暇にも行かないような真面目な司祭でしたが、入院してからの、この約1か月の間、兄である私と病室で共に過ごす時間が与えられ、兄弟として、たくさんの話に花を咲かせると共に、司祭同士、共に祈り、キリストの受難を黙想する時を過ごしました。そして、いつ、どんな時でも「大丈夫!」を口癖のように言っていました。
そして抗がん剤の副作用もよく我慢し、気丈にふるまっておりましたのは、真面目だけが取り柄だった、アルド神父の生き方そのものだったと思っています。もっと弟と語り合いたかった、もっと弟とともにカトリック教会の未来のことなども話したかったという気持ちがこみ上げてまいりますが、きっと今頃、アルド神父はこんな私を見て「大丈夫!」と笑っていることでしょう。
現サレジオ会日本管区長 山野内倫昭神父
2014年11月4日通夜説教より抜粋
「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です」。(ヨハネの手紙一4・16)
この言葉はアルド・チプリアニ管区長が帰天するちょうど1週間前に、彼の過ぎ越しの神秘を祝うためにご自分で選んだみ言葉でした。10月24日、病室にいた私と他の2名に、「私は、神様の愛を信じました。主を信頼しています」と語り始め、「ヨハネの第一の手紙を開いてこの箇所を探して」と願われました。スマートフォンから、言われた箇所を検索し、読み始めましたら、「違う、それではない…違う」と、言われ、ヨハネの第一の手紙の4章7節に入るとチプリアニ神父の顔が微笑みに変わり、「それだ」と言いながら静かに聞き始めました「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知ってるからです」。さらに進んで、4章16節のところに来ると「そこだ」と言って口を閉じて涙を流し始めました。
(彼は)自分のためではなくて隣人のため、特にもっとも助けを必要としている方々、移民者、労働者、貧しい青少年のために全てをささげ尽くしたのでした。
サレジアン・シスターズ日本管区長 井上澄子シスター
弔辞より抜粋
チプリアニ神父様は、いつも温かく朗らかに接してくださり、私どもサレジアン・シスターズにとっての良き理解者、サレジアン・ファミリーの一致の要でした。神父様の寛大なお心、それぞれの家族の意見に耳を傾け、ファミリーの輪を築いていこうとなさる姿勢には、父ドン・ボスコのお姿を彷彿させるものがありました。
イエスのカリタス修道女会総長 志村百合子シスター/総評議員一同
弔辞より抜粋
「あなたにかけたわたしの希望はとこしえにゆるがない」(「テ・デウム」)
チプリアニ管区長様は、ちょうど1年前、別府で行われた私どもの修道会の臨時総会の閉会ミサを司式してくださいました。その時、管区長様は、あたかも私たちの創立者が、一人ひとりの娘たちを見守るような面持ちで「イエスを知らせ、愛させ、できるだけ多くの人を救うために、愛、謙遜、惜しみない心で世界に出て行ってください。イエスは皆さんと共におられます」と、私たちを励ましてくださったのでした。私たちは、この励ましのお言葉を、宣教師として生涯を全うされたチプリアニ神父様の私たちへの遺言として受け止め、生きてゆきたいと思います。
香港時代の同級生・サレジオ会中国管区長 ランフランコ・フェドリゴッティ神父
弔辞より抜粋
あなたが他界したと聞いて、大変驚き、深い心の痛みを感じています。この春、あなたと一緒にローマでサレジオ会第27回総会に参加した時に、お別れの時がこんなに早く来るとはまったく考えてもいませんでした。香港を通って、長洲時代の昔の友人たちに会いに来てくれるように、何回も何回もお招きしましたのに。
あなたは、総会の霊的な実りのため、私たちサレジオ会員の回心のため、命をささげたのでしょうか。回心はとても高くつく奇跡です。あなたは、自分の命をささげて、その代価を支払ったのでしょうか。
アルド、あなたはわたしの宣教師の最初の友人でした。覚えていますか。48年前、1966年10月22日、私たち2人だけで、飛行機に乗って、ローマを後にし、その翌日、香港にたどりついたことを。さらにその翌日の24日は、宣教の日の日曜日で、扶助者聖マリアの記念をしながら、宣教師としての最初の日を一緒に過ごしましたね。その後、60人ぐらいの神学生や哲学生と一緒に、忘れることができない生き生きした、サレジオ会らしい3年間を過ごしました。2人のゼン神父がいましたね。ジョバンニ・ゼン院長と教授のジョセフ・ゼン神父です。覚えていますか。それに2人の年配の宣教師、フランス人のアンリ・シャンジャ神父とミラノ出身のシルビオ・ロマッツィ神父。あの2人は、どちらが説教上手か絶えず競争しているみたいでした。
そして、覚えていますか、元管区長のルイジ・マッシミーノ神父もいました。わたしたちは、vecchiaccio(ジーちゃん)と呼んでいましたね。いたずらっ子でしたね、わたしたちは。湿気の多い夏の夜、たがいにバケツで水をぶっかけ合ったり、毎週、授業のためにお出でになっていた白い髭のスッポ神父を困らせたりすることもありました。
あなたは、1度だけ香港に来てくれましたね。その時、車で、ヴィクトリア・ピークに連れて行き、素晴らしい香港の夜景を一緒に楽しんだことを覚えていますか。その帰りに、雨が降り、道が滑りやすくなって、運転が下手なわたしだから、タイヤが溝に入ってしまったことも覚えていますか。あれ以来、香港に来たことがないのは、その時のショックのせいだったのでしょうか。
親愛なるアルド、さようなら。そして、いつか、天国のサレジオの庭で、また会いましょう。
(文/サレジオ会・編集部)
わたしたちに対する神の愛を知り、
また信じています。 神は愛です。 (ヨハネの手紙一4・16)
アルド・チプリアニ Aldo CIPRIANI sdb
1949年8月7日イタリア・アレッツオ生まれ。1977年司祭叙階。その後、川崎サレジオにて教職、管区秘書、ドン・ボスコ社社長、管区財務、サレジオ学院理事長、目黒支部院長を経て、日本管区長に。育英学院、大阪星光学院、ドン・ボスコ学院理事長を兼任。2014年10月31日、帰天。享年65歳。