ありがとう!木村重雄さん 社会のために捧げた第二の人生
写真:カトリック調布教会での大聖グレゴリオ騎士団勲章受章式にて。教皇大使アルベルト・ボッターリ・カステッロ師(当時、右)と故アルド・チプリアニ管区長(左)と木村さん夫妻
第二次世界大戦前に育ち、戦後の高度経済成長期に企業人としてフルに活動し、海外にも打って出た職業人生。一転して、退職後はまったく畑違いの分野で人の求めに応じて捧げていった第二の人生とは。
● 企業人としての45年間
木村重雄さんは1926年12月18日、熊本市に生まれた。旧制熊本中学(現熊本高校)、熊本工業専門学校機械工学科で学ぶ。終戦後の1947年、日本セメント(現太平洋セメント)に入社。エンジニアとしてのキャリアを中心に国内各地の工場建設などに携わり、その経験が高く評価され、マレーシア、タイ、インドネシア、インドなど海外にも技術支援のために派遣される。その後、役員として経営に携わり、専務取締役、常務監査役を経て1992年、65歳で退社。
私生活では、最初の赴任先の高知で妻・繁子さんと出会い結婚。一女一男に恵まれる。カトリックとの出会いのきっかけは、香春製鋼所(福岡県田川郡香春町)へ赴任時に、長男の彰男さんが北九州市の明治学園中学校(コングレガシオン・ド・ノートルダム)に通ったこと。「人生の転機がどういうきっかけで起こるか、人間には前もって判らない。けれど神の拡げられた網にそのとき引っかかったのは間違いない」。繁子さんが1979年に東京の赤堤教会で受洗。木村さんも1987年に調布教会にて溝部脩神父(当時)より受洗。長男・彰男さんも2002年に受洗した。
● サレジオ会の支え役として
木村さんは日本セメントを退社するとすぐ、サレジオ会管区長になっていた溝部神父を訪ね「何か社会のため、教会のためにお役に立つ仕事があれば、ぜひお手伝いさせていただきたい」と願い出た。溝部師はありがたくその申し出を受け、立ち上げたばかりのドン・ボスコ海外青年ボランティアグループの後援会長、さらにサレジオ会日本管区の管区長顧問に任命する。そして、木村さんの企業人としての経験は、サレジオ会の教育事業の経営に大きく貢献することとなる。育英工業高等専門学校(現サレジオ高専)と大阪星光学院の理事、また東京サレジオ学園の監事やカリタスの園(イエスのカリタス修道女会)の理事、会津若松ザベリオ学園(無原罪聖母宣教女会〔当時〕)の理事として、退社後の約20年を捧げていった。
溝部師は述懐する。「真面目で誠実、清廉潔白な人でした。彼はよく言っていました。『会社は儲けるだけを考えていたら駄目で、大事なのは誠実さです』と。これが彼の哲学でした。」
2011年7月17日、木村さんのサレジオ会事業への献身的な働きが認められ、カトリック教会の活動と発展に尽力した者に与えられる大聖グレゴリオ騎士団勲章を受章した。しかし2013年末、心臓バイパス手術を受け、成功した後、徐々に歩行が困難になる。2015年1月25日、88歳で帰天。妻の繁子さんがふりかえる。「第二の人生は、本当に生き生きと充実した時期だったと喜んでいました。小さなタレントを捧げた夫・重雄は神さまの恵みと人々の協力を頂いて走るべき道を走り抜き、喜んで神さまの御許に参りました」。
(文/サレジオ会)
ヨゼフ 木村重雄
1926年12月18日熊本市生まれ。1947年日本セメントに入社。1992年退社後、サレジオ会教育事業に理事または監事として貢献。2015年1月25日、帰天。