ページのトップへ

サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

ありがとう!河合神父 教育へ傾けた情熱



写真:1998年、サレジオ学院の校舎前にて生徒たちと

2014年6月23日、河合神父は、チプリアニ管区長より病者の塗油を受けた後、サレジオ学院の鳥越神父はじめ長年共に働いてきた教職員、信徒の皆さん、親族の方に見守られながら永遠のいのちへと旅立った。サレジオ会員として教育に献身し、この7年間は糖尿病、がんと闘いながら、最後まで若い世代の育成に情熱を傾けた生涯であった。


● 理想に燃える青少年時代

 河合恒男神父は1946年6月2日、5人兄弟の末っ子として大阪に生まれた。難波っ子はキリスト教とは縁のない環境で、家族の愛情に包まれながら育ち、大阪星光学院の中等部に入学、カトリックとサレジオ会に出会った。「幼い頃より教師になりたいと考えていた」恒男少年は高等部1年のときに洗礼を受け、3年より日向学院に転校、サレジオ会員として生きる道を歩み始めた。洗礼の恵みを頂いた時以来、「人々の救霊の為に働きたいという希望が燃え始めました。星光学院での神父様、修道士の皆様の生活を見るにつけ、……『サレジオ会こそ、私の理想を満たしてくれる会である』と確信するに」至ったと、修練期に入る許可願いの手紙にある。
 1970年3月、サレジオ会員として初誓願を宣立、1977年10月8日、司祭に叙階された。その後、川崎サレジオ、日向学院、大阪星光学院、サレジオ学院の各校で働き、1998年から2006年までサレジオ学院の校長を務めた。河合神父の学校教育への貢献はサレジオ会にとどまらず、2005年から日本カトリック学校連合会理事長を務め、カトリック学校が使命をよりよく果たすことを目指し、時代が必要とする教育のため熱心に取り組んだ。プロテスタントとの連携を深め、「キリスト教学校教育懇談会」の発展にも尽力。2010年からは上智大学特任教授として教員養成課程の授業を担当、熱意と信念をもって、最後の入院の1週間前まで教壇に立った。

● 温かい父の姿

 「彼は文字通り、使命感で命を削った人。自分の体を燃やし、縮めることによってまわりを明るくするロウソクでした」。弱音を吐かない、人に迷惑をかけたくないという姿勢を貫く頑固さ、「……でも彼の頑固さはまわりに緊張、困惑などを与えるものではなかった。彼の言葉はいつも、ありがとう」だったと、河合神父の後輩であり横浜支部の院長だった鳥越神父は語っている。
 河合神父と出会った多くの生徒、保護者、卒業生が思い出すのは、一人ひとりと親しく付き合い、励まし、助言し、導くその温かな父の姿ではないだろうか。出会う人が人生の荒海で道に迷い、行き詰っているとき、不安のとき、共に歩み、勇気づける、河合神父はそのようなスタイルを生き抜いたドン・ボスコの息子だった。私たちはサレジオの教育者としてのこの良き模範に感謝をささげたい。
 神様が河合神父様に報い、私たちと共にいて、日本の福音宣教の前線に立とうとするすべてのカトリック学校の努力を祝福してくださいますように。
 河合神父様、ありがとうございました! 私たちのために祈ってください。
(文/サレジオ会)


パウロ 河合恒男
 1946年6月2日大阪生まれ。1977年司祭叙階。横浜、日向、大阪の各校にて奉職。日本カトリック学校連合会、学校法人サレジオ学院の理事長を歴任。2010年より上智大学特任教授。2014年6月23日、帰天。