ありがとう!ヘンドリックス神父 惜しみなく自分を与えた司祭
2012年8月10日、宣教師フランス・ヘンドリックス神父が私たちのもとを去った。2012年6月、末期がんと告げられると、力を振り絞り、「やり残したことがある、闘う」と宣言。手術を経て1か月あまりの闘病の後、穏やかに息をひきとった。7月5日に80歳の誕生日を迎えたばかりだった。下井草教会で行われた通夜と葬儀には、多くの人びとと教え子たちが参列し、ヘンドリックス神父との別れを惜しんだ。
● 惜しみなく自分を与える司祭になりたい
フランス・ヘンドリックス神父は1932年7月5日、ベルギーで5人兄弟の長男として生まれ、信仰深い家庭で育った。12歳でゲント市のサレジオ学校に入学、高校を卒業してサレジオ会志願者となり、1952年に初誓願を立てた。芸術的才能に恵まれ、グラフィック専門学校を卒業、終生誓願を立てた後、1958年12月、宣教師として日本に派遣された。家庭から宣教師が出たことを、両親は心から喜んだという。
1961年12月20日、チマッティ神父が神学院長の時、下井草教会で司祭に叙階された。叙階前の評価に、チマッティ神父は記している。「ヘンドリックス神学生は、繊細、寛大、勤勉、何事にも一所懸命に取り組む。知的才能があります。実践的能力に恵まれ、使徒職に役立つでしょう。修道生活に励み、司祭職の準備に全力で取り組んでいます。」
ヘンドリックス助祭は、司祭職願書に書いている。「チマッティ院長様、主の与えようとする司祭職の恵みに、自分がふさわしくないことを重々承知しています。しかし同時に、私は今、司祭職の恵みを喜んで受けようと決意しています。……だれが主の恵みと愛を完全に理解することができるでしょうか。私はすべてを主に任せます。主に惜しみなく明け渡す人になりたいのです。惜しみなく自分を与える司祭になりたいのです。」
● 人間力のあるエンジニア、デザイナーを育てる
ヘンドリックス神父は1962年より育英高専(現サレジオ高専)で働きはじめ、1975年より27年間、校長を務めた。人間味あふれる人柄で教職員や学生と接し、専門分野では持てる能力と感性を伝え、多くのエンジニア、デザイナーを育てた。ヘンドリックス神父の存在は、人間として、専門家として、すばらしい手本だった。その文化・芸術・教育における功績により、2006年11月、瑞宝中綬章を受けている。高専退職後はSITECでの生涯教育活動に取り組んだ。
宣教師として、形にとらわれない、熱意あふれる信仰を物語るエピソードがある。あるとき学生に尋ねられた。「先生は神父なんですか?」「そうです。」「教会はどこですか?」「ここです。この教室が私の教会、君たちと神様と一緒にいるところです。」
大震災の年のクリスマス、ヘンドリックス神父がカードにしたためた祈りに、彼の心がよく表れている。「一番の願いは、あなたの肩に置いた私の手を感じてほしい。途方に暮れた時、私がいることを覚えていてほしい。あなたを励まし友愛で包むため、お互いの友愛を分かち合うために。」
ヘンドリックス神父様、ありがとう! あなたの大きな愛は、私たちの人生の歩みの光となってくれるでしょう!
フランス・ヘンドリックス Frans Hendrickx sdb
サレジオ会司祭。1932年ベルギー生まれ。1958年来日。1961年司祭叙階。育英高専(現サレジオ高専)で長年教え、1975年から27年間校長を務めた。2006年瑞宝中綬章を受章。2012年8月80歳で帰天。