ありがとう!山口哲郎神父 サレジオ会員の誇りを胸に
写真:いつもお茶を飲みながら、人生や信仰について語り合っていた
徴兵されて満州で終戦を迎え、シベリア抑留という過酷な体験を経て、司祭となった山口哲郎神父。司祭として生きた58年は、第二の父と慕うチマッティ師の「将来に目を向け、善いわざに励みなさい」という言葉と聖マリアへの篤い信心によって支えられていた。
● チマッティ師を父と慕い
2013年2月20日、激動の時代を生き抜いた一人の日本人サレジオ会員が天に召された。享年92歳。山口神父は1921年、長崎の浦上に生まれた。幼くして父を亡くした哲郎少年は13歳で宮崎のサレジオ会志願院に入り、第二の父、チマッティ師と出会い、生涯この父と共にいようと決心する。この父への信頼を深めたエピソードがある。志願生たちがオペレッタ「マルコ漁師」を上演したときのこと、哲郎も重要な役を割り当てられたが、本番で緊張してせりふをすっかり忘れ、沈黙のまま芝居は喜劇に終わった。失望させ、叱られると思いきや、チマッティ師は何事もなかったかのように変わらない慈しみを注いでくれたのだった。こうした志願院での喜びあふれる落ち着いた雰囲気の中、サレジオ会員として歩み始めていた。
● シベリア抑留を経て司祭へ
戦争は修道院にも暗い影を落とした。山口神学生は1941年に誓願を立てた翌年、徴兵、満州で終戦を迎える。4年半に及ぶシベリア抑留を体験、語学ができたため捕虜の代表となり、仲間のために苦労を背負った。“地獄のような”日々が終わり復員した山口神学生は、修道院に戻る勇気がなかったそうである。故郷の大浦天主堂の聖母像の前で祈っていたとき、幼なじみの神父に再会し、チマッティ師が待っているとの伝言を受ける。ようやく修道会に戻った山口神学生は、「過去を振り返ってはいけません、将来に目を向け、善いわざにはげみなさい」という師の言葉に支えられ、年下の神学生たちの中で勉強を再開した。
1955年に司祭に叙階された山口神父は、いつも貧しい人、困っている人の側に立ち、独特の魅力によって、58年に及ぶ司祭生活で出会った多くの人びとに慕われた。サレジオ会志願生や地域の女子修道会のため、深い霊性をもった聴罪司祭として奉仕した。苦難の体験に深められた熱い聖母信心をもつ山口神父は、「司祭のマリア運動」の会員としてチェナクルム(祈りの集い)の世話をし、会報のために執筆した。
地上での最後の闘いのため入院した山口神父は、見舞いに来た兄弟会員に、まるで信仰告白のように、司祭、修道者、サレジオ会員であることの喜び、誇りを語り、いつも助けてくださった聖母に感謝は尽きなかった。
葬儀で配られた記念カードには、山口神父が2013年の年賀状に使ったみ言葉、イザヤ書49章16節の「見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける」という言葉が記されている。これは、修道者、司祭として過ごした歳月に宝として大切にしたすべての人にあてて、皆さんは私の心と祈りの中にいます、いつか皆が私と一緒に天国にいてほしいという山口神父の思いの込められた言葉である。
山口神父を通して私たちに与えられた数多くの祝福を、主に感謝します。
ヨセフ 山口哲郎
サレジオ会司祭。1921年長崎市生まれ。1955年司祭叙階。1956年より中津聖ヨゼフ寮を始め、1973年まで長く大分教区にて司牧。大阪・天王寺教会主任・聴罪司祭を経て、2013年2月、大阪にて92歳で帰天。