サレジオ家族の聖人略伝
サレジオ会とファミリーの聖人・福者など、
神と人々に生涯を捧げた模範的な人々の略伝を紹介します。
Costantino Vendrameコスタンティーノ・ヴェンドラメ司祭1893-1957年
サレジオ会司祭
帰天:1957年1月30日
1893年8月27日、イタリア・トレヴィゾ県、サン・マルティーノ・ディ・コッレ・ウンベルトで生まれた。両親ピエトロとエレナ・フィオリは労働、犠牲、特に主への信仰を教えた。コスタンティーノは幼いときから、聡明さと善良さで際立っていた。1913年、イヴレアのサレジオ会修練院に入った。キオッジャのオラトリオで1年働いた後、兵役期間を過ごした。この期間は彼の性格をいっそう鍛練することになった。 1929年3月、司祭になり、10月に扶助者聖マリア大聖堂で宣教地に行く十字架を授けられた。翌年、インドに向かって出発した。サイロンに着くやいなや、現地の言葉を学び、異常なほど速やかに習熟した。任された小教区を5年間次々と巡ったが、多くの洗礼を授け、400人の信者を1449人に増やした。主として、北東インドで働いた。絶えず村々を廻り、人々や子どもたちに会い、親身になって世話をしていた。貧しい人、病人を助け、話し掛け、彼らの話に耳をかたむけ、やがて友になると、イエスの生涯について話していた。 クバシの生活における女性の重要性を悟り、「クバシの使徒」と呼ばれる女性のグループを作り、貧しい人々や子どもたちに福音を伝えようと努めた。常にドン・ボスコのように、積極的にマス・メディアを使って、村を巡り、イエスの生涯を上映して廻った。多くの人々がそれを見て、すぐに洗礼を願った。 ドン・コスタンティーノは信徒カテキスタの養成に心掛け、彼らはコムニティー宣教をし、宣教の旅に同行した。 良きサレジオ会員として、オラトリオを盛んにし、その親たちとも親しく接して福音宣教の場を広げていった。フランシスコ・ザビエルや聖パウロのように、ヒンドゥーの人々やイスラムの人々にもキリスト教を伝えた。 深い祈り、謙遜な人で、神との交わりを生きていた。イエスの聖心の信心も厚く、MawlaiとWahia jerの聖所を建てている。ドン・ボスコのように扶助者聖マリアヘの信心も厚く、いつも聖母について話していた。若い女性たちのグループ「レジオ・マリア」を結成し、貧しい人々、病人たちを訪問し、彼らのために祈るようにしていた。 北東インドのため、生涯働き続け、衣服は繕うこともできないほどのものを身につけていた。 1957年1月30日、聖なる生涯を閉じた。