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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

サレジオ家族の聖人略伝

サレジオ会とファミリーの聖人・福者など、
神と人々に生涯を捧げた模範的な人々の略伝を紹介します。

Charles Crespi Crociクレスピ・クローチ司祭1891-1982年
サレジオ会司祭

帰天:1982年4月30日


 カルロは1891年5月29日、ミラノのレニャーノで、ダニエレ・クレスピとルイザ・クローチの13人兄弟の三男として生まれた。ドン・ボスコのように、聡明さ、寛大さ、強い意志など、主から大きな恵みを受けていた。公立学校に通った後、12歳の時、ミラノのサレジオ会の「聖アンブロジオ」カレッジに入り、そこで後期中学校の課程を修了した。
 カルロは回想して、次のように話している。「カレッジで学んでいた時、聖母が、不思議な夢を見せてくれました。長い髭をした司祭が説教壇から大勢の人々に話している様子を見ました。説教壇は聖堂ではなく、粗末な小屋の中にありました……」
 1903年、カルロはトリノ・ヴァルサリチェに高校課程を終えるために行き、そこでドン・ボスコの招きを感じた。フォリッツオで修練期を終えて、1907年初誓願、1910年終生誓願を立てる。ヴァルサリチェで哲学と神学を学んだが、そこでは後にドン・ボスコの後継者となるレナート・ジジョッティ神学生と一緒であった。同時に、自然科学、数学、音楽を教えた。
 1917年、司祭叙階。パドヴァ大学で、それまで知られていなかった微生物を発見し、科学者としてめざめさせられた。1921年、自然科学の博士号を取得し、つづいて音楽の学士ともなる。
 1923年、聖母の示しに従って、宣教師としてエクアドルに向かった。やがて、クエンカに赴き、そこで生涯を過ごした。貧しい人々のための活動を始め、電気設備をマカスに設置し、ヤンヌカイに農業学校を開くためにイタリアから機械を取り寄せ、専門家を呼んだ。このように各種の学校を設立し、後にサレジオ工業大学となる職業学校も開設した。
 ヤンヌカイに修練院を設け、1940年には教育学の専門学校も設立し、その校長になった。また、貧しい子どもたちのための小学校も建てた。西部エクワドルで働くサレジオ会員の養成に必要な学校も開設した。さらに、自然科学的資料を多く収納した、世界的に注目されるカルロ・クレスピ博物館を開設している。全力を尽くして、扶助者聖マリアの信心を広め、生命をかけて巡礼所を設けた。
 晩年には、その告解所には人々があふれ、人々は「聖カルロ・クレスピ」と呼ぶようにもなった。常に貧しい人々と共にあり、主日の午後にはストリート・チルドレンにカテキズムを教え、娯楽や日々の糧も与えていた。町の貧しい少女たちのためには、裁縫や料理の実習所を設けた。数多くの賞を受け、特にエクワドル共和国大統領の金メダルを受け、クエンカのカテドラルの名誉参事会員にもされた。イタリアの文部大臣からの教育への貢献を讃える金メダルも受けた。
 「クエンカ市民20世紀の人」と讃えられ、教皇立サレジオ大学からは、名誉博士号が与えられている。
 1982年4月30日、クエンカで死去。すべてのエクアドルの人々はドン・ボスコの聖なる息子の死に涙した。
 2006年12月8日、教区審査開始。