サレジオ家族の聖人略伝
サレジオ会とファミリーの聖人・福者など、
神と人々に生涯を捧げた模範的な人々の略伝を紹介します。
Stefano Sandor福者ステファン・サンドル修道者1914-1952年
サレジオ会修道士
帰天:1952年7月
ステファン・サンドルは、1914年11月26日、ハンガリーのソルノクで生まれる。3人兄弟の長男。父親ステファン・フェケテは国鉄で働き、母親は主婦であった。両親は共に子どもたちに深い信仰心を伝えた。ステファノはその町で学んで、冶金技術者の資格を取得した。幼い頃から、明るく、真面目で、優しく、仲間から尊敬されていた。近所の友達と一緒に過ごすことを好み、キエリでのジョヴァンニ・ボスコ少年のように、彼らのリーダーであった。良い模範となり、彼らの勉強を助け、祈りを教えていた。熱心に堅信を受け、聖ステファノと聖ペトロに倣うように努めていた。フランシスコ会の司祭のもとで、毎朝ミサにあずかり、ご聖体を拝領していたが、「ボレッティーノ・サレジアーノ」を読み、ドン・ボスコを知ることになる。すぐに、サレジオ的カリスマに心をひかれるようになり、霊的指導司祭にサレジオ修道会に入りたいとの希望を打ち明け、両親にもそのことを話した。両親は賛成せず、なんとか思い留まらせようとした。やがて、両親を説得することが出来、1936年、志願院に入り、2年の志願期を送った。ドン・ボスコ印刷所で、印刷技術を習得した。修練期を始めたが、兵役のために中断される。1939年、兵役解除となり、再度、修練期に入り、1年後、1940年9月8日に初誓願を立てる。クラリッセオに配属され、技術教育に尽力する。同時にオラトリオのアシステンツァも任され、熱心に上手に子どもたちを指導した。また、カトリック青年労働者のグループも立ち上げ、このグループはこの運動のなかで注目されていた。ドン・ボスコの模範に倣った、良き教育者であった。
1942年、再び、軍隊に招集され、最前線での働きで、殊勲賞の銀メダルを授与されている。塹壕は彼にとって、オラトリオともなり、同年兵の仲間たちを助まし、勇気づけていた。
第2次世界大戦が終わると、社会の物的、道徳的復興に努め、とりわけ、貧しい若者たちの世話をし、職業を身に付けるように助けた。
1946年7月24日、サレジオ会修道士として終生誓願を立てる。
1948年、印刷枝術の「マエストロ」の資格を取得。彼の元で学んだ卒業生は優れた印刷技術者として、社会に巣立っていった。
迫害が始まり、修道院やカトリック学校は閉鎖されることになった。サレジオ会支部に密かに隠れ、偽名を使って、公立の印刷所で働いていた。1952年、逮捕され、その後、その姿は見られなかった。
公式の記録によると、裁判にかけられ、死刑宣告を受け、1953年6月8日、執行された。
2013年10月19日、ハンガリー首都ブタペストの聖ステファノ大聖堂前広場にて列福。