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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

サレジオ家族の聖人略伝

サレジオ会とファミリーの聖人・福者など、
神と人々に生涯を捧げた模範的な人々の略伝を紹介します。

Bronislao Markiewicz福者ブロニスラオ・マルケヴィッチ司祭1843-1912年
大天使聖ミカエル修道会の創立者

記念日:1月30日


 1843年、南ポーランドのブルツニツクの寒村で、貧しいけれども信仰のあつい家庭に、11人兄弟の6人目の子どもとして生まれる。
 小学生のとき、自分の席さえも確保されず、休み時間には木の上で読書をしていた。彼の兄たちが中学校に通っていたため、学費がなく、2年間、待機させられた上、「信仰が盗まれた」と訴えさせるような無神論の教師に出会う。キリスト者として生きることに困難を感じていたにもかかわらず、彼は熱心にひざまずいて祈り始めた。
 やがて、神学校の門をたたき、1867年、司祭に叙階される。その後、主任司祭、教授になり、要理を教えるなどの活躍をしていたが、彼の関心は貧しい人びと、とくに、若者の魂を教育によって救う活動に専念することにあった。そのようなとき、ブロニスラオは北イタリアで同じ理想を目指している修道会の存在を耳にし、イタリアに向かい、サレジオ会のもとに留まることにした。
 こうして、1887年、最晩年のドン・ボスコの指導を受け、ドン・ボスコ本人の前で誓願をたてる幸運を得た。1892年、サレジオ会員として故郷に帰り、ドン・ボスコの精神に照らされて、自国の物質的、精神的救済を要する人びとのために活動を始めた。
 膨れ上がる収容者の増加は場所的にも、金銭的にも、本部の援助が必要になった。貧しいながら晴朗な雰囲気、過酷と思える働きに対して、犠牲を惜しまない会員の姿を目の当たりにした視察者の報告を受けた上長は、収容人員の削減と会員のゆとりのある扱い方の勧告をした。
 ブロニスラオは、聴罪司祭兼教区長と相談の上、苦渋の選択をした。その結果、すでに、100人に達していた困窮者の世話をする「信徒の会」を始めるために、サレジオ会を退くことにした。彼は、この「信心会」に「労働と節制」のモットーを掲げさせ、サレジオ会の霊性の香りを漂わせることにした。
 1903年、クラコフの近くのパウリコビチェに「大天使聖ミカエル修道会」を創立することになり、教会、授産所、収容施設は数を増やし、対象者は女性にも及んだ。
 不治の病に倒れたブロニスラオは1912年12月29日逝去。その9年後、彼の修道会は、男女の「大天使聖ミカエル修道会」として、正式に認可された。彼らは、サレジオ家族に加えられ、「ミケリーチ」の称で呼ばれている。
 ブロニスラオは、額に汗して日々の糧を得ることを力説し、労働を聖化し、節制、犠牲など、現代の社会で軽視されがちな修徳を訴えた。教皇ヨハネ・パウロ2世によって、2005年4月24日、福者の列に加えられた。