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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

サレジオ家族の聖人略伝

サレジオ会とファミリーの聖人・福者など、
神と人々に生涯を捧げた模範的な人々の略伝を紹介します。

Alessandrina Da Costa福者アレキサンドリナ・マリア・ダ・コスタ1904-1955年
サレジアニ・コオペラトーリ会員

記念日:10月13日


 1904年3月30日、ポルトガルのバラサールに、未婚の母の子として生まれる。母親は生計を立てるために、多忙な日々であったが、姉と共にしっかりした信仰教育を施した。その地方の慣例に従い、6歳から、要理の勉強に通い、7歳で初聖体を受けた。そのころ、大工の家に身を寄せて初等教育を始めたが、8か月でやめて家に帰った。
 8歳で野良仕事にでかけ、丈夫な体で男性に負けない働きで、やがて同等の稼ぎを得ていた。親しまれる性格が裏目に出て、嫌がらせの言動をする者がおり、悩まされ、抵抗もしていた。
 12歳のとき、生死をさまよう重症にかかる。アレキサンドリナにとって決定的な事件は、14歳のときに起こった。かつての雇い主が相棒をつれて彼女の家を襲った。アレキサンドリナは窓から飛び降りて難を逃れたが、脊椎に重症を負う。
 当初、勧められる治療を試み、祈ったが、回復の兆しはほとんどみられなかった。主治医は、この麻痺状態は生涯続くだろうと19歳のとき、宣言した。以後、32年間、福者自身が記しているように受難の期間として、カルワリオまでイエスに同行することになる。
 このころから、神の不思議な恵みが働きはじめた。なえた体で、罪びとの救いのために十字架上のイエスに伴う苦しくて長い旅が始まった。1936年、「救霊のために手を貸してくれるように」との主の招きを聞く。2年後、3年半にわたり、木曜日から金曜日にかけて、182回、キリストの受難を視覚的に体験した。第2次世界大戦の予告を受け、世界平和のために自分をいけにえとしてささげた。世界を聖母のみ心にささげるように主からの促しを受け、聖座に申請し、1942年10月31日、教皇ピオ12世はそれを受け入れた。このころから健康状態は著しく悪化し、食べ物を受けつけなくなり、死を迎えるまで、聖体のみで生き続けた。
 1945年、彼女は、サレジオ会のウンベルト・パスクァーレ師と出会い、指導司祭を依頼した。師の勧めで、サレジアニ・コオペラトーリの会員証を手にしてからは、サレジオ会員と共に若者の救いのために祈り、苦しみをささげた。精神的に修練者と信心業に参加して彼らと共に祈った。
 厳しい断食は医師団によって細心に、残酷なまでに見張られた。1955年10月13日、「わたしは天国にまいります」と言いながら、その生涯を閉じた。 2004年4月25日、福者の列に加えられる。