サレジオ家族の聖人略伝
サレジオ会とファミリーの聖人・福者など、
神と人々に生涯を捧げた模範的な人々の略伝を紹介します。
Eusebia Palomino福者エウセビア・パロミーノ修道女1899-1935年
扶助者聖母会シスター
記念日:2月9日
スペインのカンタルピーノで1899年に誕生。非常に貧しい生活を強いられたが、家庭にはキリストの平和が満ちあふれていた。幼いエウセビアは物質的な食べ物には恵まれなかったが精神的な喜びを味わっていた。
母親が夕食を準備する間、父親は娘たちに、神の教えを説いていた。しかし、父親のけがにより収入が途絶えたとき、カスティリア地方の寒さに耐えるため、父親と2人で、村から村をまわり、施しを受けるため戸口に立つまでの貧しさに追いやられた。
8歳から12歳まで、近所の家庭のベビーシッターと家事手伝いとして、さらには、サラマンカ市では家事見習いとして雇われるが、やがて、ホームシックにかかり、家に帰る。彼女は、再び、貧しく見捨てられた老人たちのヘルパーとして雇われて生活をしているうちに、サレジアン・シスターズのオラトリオに行き、祈っているとき、聖母の招きを聞く。シスターズの好意により家事手伝いとして住み込むことになる。18歳のときのことである。
やがて、召命を感じ、さまざまな困難や試練にあいながら、奉献生活の道を準備した。1924年、誓願式の数か月前、地下室で転び、手にしていた瓶が割れ、腕の動脈切断と出血多量のためひん死の状態に陥った。エウセビアの修道生活への強い願いは聞き入れられ、延期された立願は、8月に受け入れられた。
立願後、ヴァルヴェルデに送られ、修道女としての生涯をそこで過ごすことになった。院長と4人の同僚を助けて、家事のさまざまの用務をこなし、オラトリオの責任も果たした。子どもたちから、平凡でおとなしいと思われたエウセビアは、非凡な魅力を輝かせて、少女たちの心をとらえていった。
このころから、奇跡を行う恵みが与えられた。深い霊性がそれに伴い、聖母の娘は「マリアの奴隷」になることを自らの謙そんな行いで示した。そのころに始まったスペインの内乱に際して祖国の救いのために、いけにえとして神に身をささげた。それに呼応するかのごとく、エウセビアは侵入者に殴打されて、持病のぜんそくも併発し、3年間の長期にわたり激痛に悩まされた。その病床を訪れた院長のカルメン・モラノに殉教を予言した。
1935年2月10日の早朝、晴れやかな表情を見せて、36歳の苦難に満ちた生涯を神にささげた。
2004年4月25日、教皇ヨハネ・パウロ2世によって福者の列に加えられた。