サレジオ家族の聖人略伝
サレジオ会とファミリーの聖人・福者など、
神と人々に生涯を捧げた模範的な人々の略伝を紹介します。
Titus Zemanティトゥス・ゼーマン司祭1915-1969年
サレジオ会司祭
帰天:1959年1月8日
スロバキアのサレジオ会員ティトゥス・ゼーマン神父は、1915年1月4日、ブラティスラヴァ近郊のヴァジノリでキリスト教徒の家庭に生まれた。10歳から司祭になることを志し、シャシュティーン、フロンスヴェティ・ベネディクト、フリシュタク・ウ・ホレショヴァにあるサレジオ会の修道院で中等学校と高等学校を修了。1931年に修練院に入り、1938年3月7日にローマのサクロ・クオーレで終生誓願を立てた。
ローマのグレゴリアン大学、後にキエーリのグレゴリアン大学で神学を学び、自由時間をオラトリオでの使徒職に費やした。1940年6月23日、トリノにて、マウリリオ・フォッサティ枢機卿の按手により、念願の司祭叙階を達成した。同年8月4日、故郷のヴァジノリで初ミサを捧げた。
1950年4月、チェコスロバキア共産党政権が修道会を禁止し、修道士男女を強制収容所に移送し始めたため、修道者たちが学業を修了できるよう、トリノへ避難する計画の必要が生じて、ゼーマン神父はこの危険な任務を遂行する指揮を執った。
ゼーマン神父は60人以上の若いサレジオ会員のために2度の遠征を組織した。3度目の遠征で、ゼーマン神父は逃亡者たちと共に逮捕された。彼は厳しい裁判にかけられ、祖国への裏切り者でありバチカンのスパイであると非難され、死刑が求刑された。1952年2月22日、酌量すべき事情を考慮して、懲役25年の判決を受けた。
ゼーマン神父は1964年3月10日、12年間の投獄の後、保護観察処分で釈放された。獄中での苦しい生活の影響で、5年後の1969年1月8日に亡くなった。
彼はこの試練を、大きな犠牲と自己犠牲の精神で乗り越えた。「たとえ命を失ったとしても、私が助けた人々の少なくとも一人が私の代わりに司祭になったことを知っているため、それを無駄とは思わないだろう。」
2017年列福。
